メディア革命とは中国の明朝末期に多くの書物が出版されるようになったことを指す。それは日本の図書館ですら、
それらすべてを貴重書扱いできなくするほど爆発的な分量であった。著者は中国文学者として、書物を「ガラス越し」で
なく、直接「手に取って」、その文化史的意義を静かに語り出す。

 日本の戦国・安土桃山時代と江戸初期にあたる明代の後期、中国の書物は製本に手間のかかる胡蝶装から簡
便な線装に形態を変えた。また、読者への訴えかけを意識して図像を多く用いるようになり、口語体で書かれた白
話小説が出現した。一言で表現する「多」と「大」と「速」。多様性のある本、膨大な内容を持つ本が、速やかに出版
されるようになる。官署ではなく、個人もしくは書店による商業出版が盛んになり、出版文化人も登場する。

 こうした変化を支えたのは、当然ではあるが購買層の増加であった。皇帝を頂点とする官僚・地方の有力者・大
商人ら支配階層はいつの時代も書物の購読者であった。これに加えて明末には、全国一斉試験である科挙の受
験生や、都市に店舗を構える中規模の商人たち、すなわち上層階級への予備軍が書物を購入した。明の社会階
層は士農工商の身分制度が強固であった日本と異なって流動的で、農工商の庶民も勉学に励めば科挙に参加す
ることが可能であった。全国で五〇万人を下らないという受験生の中には、庶民の子弟も少なくなかったのだ。書
物は彼らのあいだに深く浸透していった。
 
 叙述の調子は終始平静であるが、その説くところは重要、かつ示唆的である。文化とは多くの人々に受容されて
はじめて輝きを放つ、のだ。本書の達成を念頭に、翻ってわが日本の事例を見よう。たとえば昨今、成立千年の『源
氏物語』がしばしば話題になる。もちろん、文学作品としての卓越に疑う余地は微塵もない。だが、七〇〇万人ほど
いた平安時代の日本人のうち、その存在を認識していた人はどれほどだったか。おそらくは百人単位の宮廷内の読
者しか持たない『源氏物語』は、歴史の教科書が言うように、平安時代を代表していただろうか。雅びな芸能と深く
関与したのは支配者層だけで、彼らは中世までは庶民と隔絶していた。正史『三国志』は明末に『三国志通俗演義』
となって初めて人々に受容され、愛好された。そうであるならば、『源氏物語』が真の意味で日本人の文学となるの
は、様々な研究や注釈が現れる江戸時代を待たねばならないし、さらには『谷崎源氏』や『円地源氏』が著される近
現代であるのかもしれない。

 庶民が本を盛んに読み始めるのは、日本では中国より百年以上遅れた江戸時代の中期以降のことであった。元
禄文化や文化・文政の文化など、貴族でも宗教者でも武士ですらなく、庶民が中心的な担い手となった文化が花開
き、『源氏物語』をはじめとする「古き良き」日本の再認識が始まる。このタイムラグは何を意味するのだろう。

 文化とは何かを、発信する側ばかりではなく受け取り手の側から再考してみる。それはまことに興味深い作業であ
る。また私たちは今後、中国社会と日本社会の比較を否応なく何度も試みねばなるまい。本書はその際の、実に確
かな足がかりを提供してくれる。

文藝春秋 2009年6月号